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梅小路レポート

京都・梅小路エリアの歴史や商店街情報など、様々な地域情報を掘り下げてご紹介します!

知ると面白くなる! 梅小路エリア探検

梅逕学区(ばいけいがっく)
梅逕学区に暮らす人々
  1. 昭和40年代の梅小路機関区(現在の京都鉄道博物館)
  2. 西堀川通にある芹根水跡の石碑

平安京では、梅が咲く小径のある洛中だった地域。時代とともに変わっていくが、稲荷社の御旅所を中心に、東寺の弘法市といった門前市などで、人々が賑わう地域だったとか。番組小学校の創設は、町内の有志により、学ぶ場所を大切に思うことで開かれたという。明治から昭和にかけては、京都駅と梅小路駅(京都貨物駅)が開業し、物流が盛んだった歴史から、関係する会社はもちろん、働く住民が居た。現在は静かで落ちついた雰囲気が印象的。『都名所図会』にも描かれる、京の七名水の一つ芹根水跡など、歴史を感じさせる石碑も見られる。

歴史の変遷が面白い「梅逕中学校」

下京第二十三番組小学校から梅逕小学校を経て「梅逕中学校」へ(年表参照)。中学校の発足は、高等科の設置や商業青年学校を併置など、地域に根差した学校教育を経ての変遷に、第二次世界大戦の終結が大きく関わる。昭和22年、梅逕中学校として開校後は、生徒の自主性や自発性を重んじる開かれた学校だったという。 平成になってからは、一人一人が「学ぶこと」「働くこと」「生きること」を考える、いわゆる人間力向上に力を注いだそう。平成6年には、校門を挟むように左右にある「紅梅と白梅」が、京都市立学校・幼稚園の「名木百選」に選ばれる名誉に。樹齢が紅梅で約220年、白梅で270年という老木。ずっと地域の人々を見守ってきた梅逕学区らしい名木といえる。現在は閉校したものの、梅逕歴史資料室※は今も校舎内に残り、梅逕学区の歴史を語り継いでいる。

※イベント時等に開放(不定期)

  1. 木造瓦葺の講堂。大正時代に大原へ村役場として移築
  2. 現在も1月末〜2月にかけて咲き誇る名木の紅梅白梅
  3. 梅逕学区の歴史のほか、昔の暮らしの道具の展示も行っている梅逕歴史資料室
  4. 「是より洛中 荷馬口付のもの乗へからす」標石。馬に乗ったまま都へは入るなという意味
学区内を見守る寺院『龍岸寺』
  1. ご住職の池口龍法さんは、『般若心経』を現代ロックバージョンにしてみるなど、柔軟な発想で仏教の教えを説く。イベント他、地域活性化にも貢献
  2. 涅槃経の言葉「一切衆生悉有仏性」。住職にかかれば「2017年ほとけに萌えよう」となる

日常的に人々が自然と集まり、暮らしを営むための拠り所、地域のコミュニティ=寺院という存在。梅逕学区内にある龍岸寺は、元和2年から3年に、僧・三哲により開山した浄土宗の寺院で、現在のご住職は第二十四世。住職曰く「山門前の通りを、開山した三哲から三哲通と呼びましたが、現在は塩小路通といい人通りも増えました。お寺にもっと親しんでほしいという思いから通り沿いに掛けている黒板にも、仏教の言葉を今の言葉に変えて書いたりしています。地域の方はもちろん、通りがかりの方にも、何かのきっかけになればと思います。」

龍岸寺 京都市下京区塩小路通大宮東入八条坊門町564 TEL. 075・371・0370

梅逕学区を愛し守る人々

「子どもの頃の思い出といえば、「粟嶋堂宗徳寺」の門前で、市がでていたことです。今はもう無い市ですが、木津屋橋通から岩上通を南へ東西にもずらりとお店が並んで華やかで。小銭を握りしめておやつを買ったりしました。最近は、春の稲荷祭の御神輿や、秋の区民体育祭でも盛り上がりますが、9年前には、約25年に1度回ってくる時代祭の徳川城使上洛列の大役を全うしたのも良い思い出です。」(会長)
「梅逕という名前を大切にしたい。今、梅小路通と呼んでいる通りを、できれば昔のように梅の木がある通りにできたら。また、今後は元梅逕中学校を活用して、この地域を活性化できたらと思っています。」(副会長)

梅逕自治連合会
(左)副会長 長尾 源承さん、 (右)会長 髙岡 弘さん