知ると面白くなる!梅小路エリア探索
※2017年9月に作成したレポートです。
安寧学区(あんねいがっく)
京都駅の西側、元安寧小学校を中心に、東は西洞院通から、西は櫛笥通あたりまで。
北は七条通あたりから、南はJR東海道本線までという範囲です。
堀川通で東西に分かれていても、楽しい集いも多々あり、和気あいあいとしたエリアを紹介します。
- お話をきいたのは・・・
安寧学区はどんなところ?
平安京までさかのぼれば、遷都とともに建立された東寺の北側にあった東市あたりに所在し活気のある場所で、鎌倉から室町時代でも中心商区として、江戸時代でも青物市場として人々の往来があったといわれます。新選組との関わりがあったといわれ、最後の屯所と呼ばれる不動堂村屯所があったところと聞いています。新選組が京洛警備のために勧誘した伊藤甲子太郎の裏切りにより、近藤勇らが始末を考え実行した油小路事件の舞台でもあるそうです。近代では、旧東海道本線や市電の開通、また、下京第21番組小学校(後に下京第29区小学校)の存在は、このエリアの絆を生んだといいます。
地域のつながりや取り組み
ここ数年は世帯数も人口も増えている安寧学区。地元に代々住み続けている人もいれば、新しいマンションに引っ越してくる家族もいます。また、京都駅に近づくほどオフィスなども増加。ホテルやゲストハウスなどが多いのも特徴です。地域内には、不動堂明王院、道祖神社、西教寺、そして西栄寺があります。自治連合会会長の龍村さんは、西栄寺のご住職です。地域の取り組みとして防災訓練はもちろん、歩こう会や区民運動会などの参加もあり、地域とのつながりは深いといいます。
元安寧小学校の昔と今
明治2(1869)年に下京第21番組小学校として設立。移転を経て、明治5(1872)年に下京第29区小学校と改称後、市政が変わり約125年前に安寧尋常小学校となりました。堀川通に面した現在の地に移ったのは、昭和34(1959)年。堀川通の拡充のためだったそうです。
少子化に伴い大内小学校と合併して京都市立梅小路小学校となったのが21年前(平成8年)。今は、地域の自治会が管理し施設開放。少年野球やグラウンドゴルフなどにいそしむ老若男女の声が元小学校の施設に響きます。
安寧学区“なるほど”トピックス
TOPICS1
小学校名の由来は?
碁盤の目に区切られた平安時代の都。小学校が、安寧坊の位置に由来することから命名。
TOPICS2
梅が枝の手水鉢
(うめがえのちょうずばち)
歌舞伎の「ひらがな盛衰記」や俗語「梅が枝節」で知られる、梅が枝の手水鉢がある。
TOPICS3
芹根水
(せりねすい)
京の七名水の一つで、清水が湧き出る場所があった。江戸期の「都名所図会」にも掲載。
TOPICS4
西八百屋町巡査派出所
(せりねすい)
学区内にあった2つの派出所のうち一つは、赤れんが張りの洋風建築。現在、名古屋の明治村に移築されている。
※2019年3月31日時点